物語の幕開け
この物語は、一冊の写本から始まる。それは、題箋のない黒一色の表紙に綴じられた、22丁から成る縦14.5×横19.2センチの小さめの横本で、作品名や作者の名前はどこにも明記されていない。この冊子を開くと、そこには流れるような墨書きの文字と、話の内容を忠実に可視化してくれる10図の彩色挿絵が現れる。注目すべきは「正徳四年(1714年)孟春廿五日」という奥書を伴う跋文の、「深秘」という言葉である。読者は、そのような注意書きを見ると、すぐさまこの話が秘密めいたものであることに気づくだろう。
この写本は、現在『衆道通夜物語』という仮のタイトルで、イェール大学図書館目録に収められているが、この本が作られた18世紀当時は、その「衆道」を含む名前では知られていなかった可能性もある。また、18世紀は、三都で人気を博した男色ものの文芸や演芸が自由に流通していた時代であり 、この作品が非道徳的で顰蹙を買うようなテーマを扱っていたという理由で「深秘」扱いされたわけではない。
それでは、どうしてこの作品には、秘密保持を促すような言い回しや禁忌の雰囲気がまとわりついているのであろう。その理由を明らかにするため、『衆道通夜物語』の世界を覗いてみよう。
源太の物語
この作品は、才色兼備で家柄もよい若き藩士、竹俣源太をめぐる物語である。念者志願の男たちの視線を一身に集める源太は、嫉妬に駆られたライバルが吹聴するデマ、恋に狂った男のつきまとい、努力の甲斐なく袖にされた男たちの恨みなどの標的となった。賢明とは言えない選択を繰り返した結果、源太は立派な兄貴分ではなく、ろくでもない輩とつるむようになり、その結果、16歳の若さで、嫉妬に狂った別の藩士の手で、斬殺されるという悲劇的な最期を迎える。そして、この作品をより一層不可思議なものにしているのは、源太をめぐる悲劇が、地蔵菩薩の説く秘話となっていることである。つまり、凡夫の眼前現れた地蔵菩薩が、全知の(中立ではないが)語り手となり、物語を伝承するという仕掛けになっているのだ。
動画:2分でわかる源太の物語。
つまり、この物語は読者を引き込むストーリーにつきものの装置――スキャンダル、陰謀、裏切り、嫉妬、永遠の愛の誓い、殺人事件という顛末 ――をすべて備えている。もちろん、物語を通して、性愛を想起させる表現も 散見される。よくあるメロドラマチックな武士の男色物語にも、三都の大劇場で上演されるような芝居にもなり得た、そんな話。ただ、重要なのは、これが史実を元にした物語であるということだ。竹俣源太は実在の人物であり、彼が斬殺されたというのも、本当の出来事なのである。これらの事情により、この写本の制作にはリスクが伴い、ゆえに作者による事実の言及が、より間接的なものになったのであろう(パート2を参照)。
地方武士の衆道文化
このように、『衆道通夜物語』は、読者を過去の正確な時と場所に誘うストーリーなのであり、登場人物たちは、作者にとって馴染みがあったかもしれない人々なのだ。正徳四年の正月、つまり、前年十月の源太の死から3か月も経たないうちに執筆された作品で、その舞台は、出羽国(現在の山形県)――かの上杉氏が治めていた15万石の米沢藩――である。1600年の関ヶ原の合戦以降、天下統一を果たした徳川家康が、江戸に徳川幕府を開き、権力を掌握していく一方で、敗者側に回った上杉氏は、かつての8分の1まで減封された。その結果、上杉氏の領地は、極寒の冬・不毛な土地・凶作で知られる北の僻地、米沢藩のみになってしまったのだ。
米沢が18世紀後半、養蚕と生糸業を中心とする 経済改革に大成功し、藩財政を立て直したことは史学者の間ではよく知られている。
『衆道通夜物語』の舞台は、活気あふれる徳川将軍家のお膝元・江戸とは正反対の土地柄、中堅米沢藩士たちが、緊密かつ狭い交友関係を形成する城下町・米沢である。物語には大勢の人物が登場し、作者は彼らの名前を逐一列挙する。このような人名の羅列は、現代の読者なら首をかしげたくなる無意味な情報であろう。しかし、これは当時の読者が、同じコミュニティに属するもの同士として、登場人物たちに深い関心を持っていたことと、本作が、米沢藩関係者を読者に想定しつつ書かれたことを示唆している。しかし、この作品の最重要ポイントは、おそらく、この作品が主人公源太をめぐる(実際に起きたとされる)色恋沙汰に焦点を当てている点だ。これは、米沢のような辺鄙な城下町にも、生き生きとした男色文化、もしくはそれに近いものが根付いていたことを想像させる。
確かに地方都市の中にも、衆道が盛んだったことで明治維新後に有名になった場所(薩摩など )は存在する。
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コッホ・アンゲーリカ(日本語訳:シュミット堀佐知). 「18世紀写本に描かれた、ある悲劇の物語」『血と涙と武士の愛:18世紀日本の悲劇の物語』、ジャパン・パスト&プレゼント、2024年。https://japanpastandpresent.org/jp/projects/blood-tears-and-samurai-love/introduction/a-tragic-love-story-from-eighteenth-century-japan
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