18世紀写本に描かれた、ある悲劇の物語アンゲーリカ・コッホ(日本語訳:シュミット堀佐知)

物語の幕開け

この物語は、一冊の写本から始まる。それは、題箋のない黒一色の表紙に綴じられた、22丁から成る縦14.5×横19.2センチの小さめの横本で、作品名や作者の名前はどこにも明記されていない。この冊子を開くと、そこには流れるような墨書きの文字と、話の内容を忠実に可視化してくれる10図の彩色挿絵が現れる。注目すべきは「正徳四年(1714年)孟春廿五日」という奥書を伴う跋文の、「深秘」という言葉である。読者は、そのような注意書きを見ると、すぐさまこの話が秘密めいたものであることに気づくだろう。

A photograph of the back cover of the Shudō tsuya monogatari manuscript, which is a black, almost dark blue color with worn edges and crackles in the paper.
写本GEN MSS VOL 701 (イェール大学バイネキ稀覯本・手稿図書館 [以下、バイネキ図書館蔵])。
The colophon of the manuscript, which is calligraphic Japanese text spread across two horizontal pages of a a book with worn, tea-colored paper.
「正徳四年(1714年)孟春廿五日」という日付が書かれた奥書。「この一冊は懇友の深秘たりといえども 」という言葉で締めくくられている。

この写本は、現在『衆道通夜物語』という仮のタイトルで、イェール大学図書館目録に収められているが、この本が作られた18世紀当時は、その「衆道」を含む名前では知られていなかった可能性もある。また、18世紀は、三都で人気を博した男色ものの文芸や演芸が自由に流通していた時代であり 、この作品が非道徳的で顰蹙を買うようなテーマを扱っていたという理由で「深秘」扱いされたわけではない。

それでは、どうしてこの作品には、秘密保持を促すような言い回しや禁忌の雰囲気がまとわりついているのであろう。その理由を明らかにするため、『衆道通夜物語』の世界を覗いてみよう。

A excerpt of a black and white image of several samurai youths sitting around reading books together.
衆道は、井原西鶴の『男色大鑑』(1687年)など、江戸時代の大衆文学に頻繁に表れる主題である(立教大学乱歩文庫蔵)。図は『男色大鑑』所収「この道にいろはにほへと 」の手習い場面。

源太の物語

A painted image from the manuscript of Genta, seated with a sword at his side. He is wearing an orange-ish red top coat with yellow and white striped bottoms.
源太を描いた挿絵(バイネキ図書館蔵)。

この作品は、才色兼備で家柄もよい若き藩士、竹俣源太をめぐる物語である。念者志願の男たちの視線を一身に集める源太は、嫉妬に駆られたライバルが吹聴するデマ、恋に狂った男のつきまとい、努力の甲斐なく袖にされた男たちの恨みなどの標的となった。賢明とは言えない選択を繰り返した結果、源太は立派な兄貴分ではなく、ろくでもない輩とつるむようになり、その結果、16歳の若さで、嫉妬に狂った別の藩士の手で、斬殺されるという悲劇的な最期を迎える。そして、この作品をより一層不可思議なものにしているのは、源太をめぐる悲劇が、地蔵菩薩の説く秘話となっていることである。つまり、凡夫の眼前現れた地蔵菩薩が、全知の(中立ではないが)語り手となり、物語を伝承するという仕掛けになっているのだ。

動画:2分でわかる源太の物語

A excerpt from a black and white image of an older samurai man approaching a youthful samurai boy while brandishing a naginata as several others look on.
武士の男色恋愛譚が、悲劇的で時には刃傷沙汰にまで至る結末を迎えるのは、浮世草子など、大衆文学作品の定番であった。図は西鶴の『男色大鑑』より(立教大学乱歩文庫蔵)。

つまり、この物語は読者を引き込むストーリーにつきものの装置――スキャンダル、陰謀、裏切り、嫉妬、永遠の愛の誓い、殺人事件という顛末 ――をすべて備えている。もちろん、物語を通して、性愛を想起させる表現も 散見される。よくあるメロドラマチックな武士の男色物語にも、三都の大劇場で上演されるような芝居にもなり得た、そんな話。ただ、重要なのは、これが史実を元にした物語であるということだ。竹俣源太は実在の人物であり、彼が斬殺されたというのも、本当の出来事なのである。これらの事情により、この写本の制作にはリスクが伴い、ゆえに作者による事実の言及が、より間接的なものになったのであろう(パート2を参照)。

地方武士の衆道文化

このように、『衆道通夜物語』は、読者を過去の正確な時と場所に誘うストーリーなのであり、登場人物たちは、作者にとって馴染みがあったかもしれない人々なのだ。正徳四年の正月、つまり、前年十月の源太の死から3か月も経たないうちに執筆された作品で、その舞台は、出羽国(現在の山形県)――かの上杉氏が治めていた15万石の米沢藩――である。1600年の関ヶ原の合戦以降、天下統一を果たした徳川家康が、江戸に徳川幕府を開き、権力を掌握していく一方で、敗者側に回った上杉氏は、かつての8分の1まで減封された。その結果、上杉氏の領地は、極寒の冬・不毛な土地・凶作で知られる北の僻地、米沢藩のみになってしまったのだ。

An excerpt of a painting of Yonezawa, showing small clusters of houses and trees, watch towers, and a moat.
上杉氏のお膝元、米沢藩の城下町米沢(市立米沢図書館蔵『江戸道中絵図』より)。

米沢が18世紀後半、養蚕と生糸業を中心とする 経済改革に大成功し、藩財政を立て直したことは史学者の間ではよく知られている。 しかしながら、源太の物語が展開する18世紀初頭は、米沢藩はまだ経済的に困窮していた時期であり、藩内の権力者たちは、しばしば源太のような藩士たちの俸禄を借り上げすることで 、採算をとっていた。つまり、当時の米沢の下級藩士たちは、乏しい俸禄のみでは生活を維持することが難しい、過酷な状況に置かれていたのだ。

A map of northern Honshu, with Dewa Province highlighted in green and several sites within it (in its southern tip) marked, including Yonezawa Domain, Oguni, and Yonezawa.
出羽国と米沢藩の地図(1667年ー1869年)。
Three parallel rows of images representing the road to Edo through Yonezawa. The images are a continuous representation of traveling across a road, through mountains and trees, as well as the city, suggesting the scenery a traveler would pass through.
これは冊子体の絵図帳『江戸道中絵図』の料紙を横一列につなげた図で、巻子本を繙くかのように、米沢城から江戸までの長い道程の一部を、継続して辿ることができるようにしたものだ。 冒頭部(右端)には、美しく抽象化された出羽の山並みが描かれているものの、勾配の険しさと荒涼とした雰囲気もよく伝わってくる(市立米沢図書館蔵)。

『衆道通夜物語』の舞台は、活気あふれる徳川将軍家のお膝元・江戸とは正反対の土地柄、中堅米沢藩士たちが、緊密かつ狭い交友関係を形成する城下町・米沢である。物語には大勢の人物が登場し、作者は彼らの名前を逐一列挙する。このような人名の羅列は、現代の読者なら首をかしげたくなる無意味な情報であろう。しかし、これは当時の読者が、同じコミュニティに属するもの同士として、登場人物たちに深い関心を持っていたことと、本作が、米沢藩関係者を読者に想定しつつ書かれたことを示唆している。しかし、この作品の最重要ポイントは、おそらく、この作品が主人公源太をめぐる(実際に起きたとされる)色恋沙汰に焦点を当てている点だ。これは、米沢のような辺鄙な城下町にも、生き生きとした男色文化、もしくはそれに近いものが根付いていたことを想像させる。

確かに地方都市の中にも、衆道が盛んだったことで明治維新後に有名になった場所(薩摩など )は存在する。 しかし、江戸時代に「衆道」を題材に作られ、広く享受された浮世草子などは 、三都で暮らす人々の趣向を反映しているため、そのようなテクストから地方の男色文化の実態を明らかにするのは難しい。 そう考えると、文化的に優勢な大都市以外の場所で、男色がどのように認識されていたのかを知るために、この本はわれわれに有益な手掛かりを提供してくれるのだ。


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コッホ・アンゲーリカ(日本語訳:シュミット堀佐知). 「18世紀写本に描かれた、ある悲劇の物語」『血と涙と武士の愛:18世紀日本の悲劇の物語』、ジャパン・パスト&プレゼント、2024年。https://japanpastandpresent.org/jp/projects/blood-tears-and-samurai-love/introduction/a-tragic-love-story-from-eighteenth-century-japan

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