オーラルヒストリと口述記録について

初心者のオーラルヒストリアンとして、インタビューを忠実に表現する口述記録を作成するにはどうすればいいでしょうか?

12人の原爆生存者を集めた伝記となった私の前作『Dangerous Memory in Nagasaki: Prayers, Protests and Catholic Survivor Narratives』では、編集後記に次のように記載しました。

インタビュアーである私とインタビュー対象者の方々との日本語での会話から翻訳を完成させました。私は最初、各会話から日本語の文字起こしを作成しました。結果として生じるテキストには、一時停止、省略、バック ループなどが含まれます。 口述テキストの解釈の複雑さに対処するだけでなく、読みやすさのために、直訳をどこまで採用し、文脈翻訳をどこまで使用できるかというジレンマを意識しながら、各段階で翻訳と解釈を決定しました。私は、形式的で文字通り同じテキストを作成するよりも、文脈に応じて創造的に翻訳する傾向がありました。 本文中の省略記号 […] は、元のインタビューから一部のデータを編集したことを示しています。 説明と編集上の注記は角括弧 [] 内に含まれています。最終的な翻訳については私が全責任を負います。

オーラル・ヒストリーのサブフィールドでは、インタビューから文字起こしをどのように作成するかについて、数十年にわたって議論されています。通常、話された言葉を紙の上でどのように表現するかが焦点であり、リンダ・ショップスは、書き起こすこと自体が翻訳行為であり、失われる可能性のあるものには、声のニュアンス、声のトーン、リズム、速度、声の強弱によって伝えられる意味、ため息、笑い、呟きなどの言葉によらない言語、社会的関係だけでなく、 対話的な交渉と出会いの精神的プロセスが含まれると書いています。 私がモノグラフに書いたように、「オーラル・ヒストリーにおいては、インタビューされる側がトラウマを抱えていることがしばしばあります。これは極めて難しい状況で、こういった人はトラウムのせいで無意識に話を中断したり、感情的になったりします。」 したがって、このプロジェクトでは、以前のプロジェクトと同様に、口述記録(トランスクリプト)に示されている擬音、フレーズの繰り返し、笑い、沈黙を含めることで、感情的な文脈がより明白で表現力豊かですか、この場合、読者は音声を聞くこともできます。

引用した章でショップスが提案している4つのステップのプロセスには、語り手を貶める可能性のある地元の言葉のスピーチを避けるなど、テキストへのかなり広範な介入が含まれます。 もちろん、失われた情報の一部は再び聞くことができないため、JPP は口述記録(トランスクリプト)を読みながらでも、音声を聞く機会を提供します。現代のデジタル世界では、オーディオはますますアクセスしやすくなっていますが、このデジタルプロジェクトでも同様です。同じテーマに関する別の章で、フランシス・グッドは、解釈と文字お起こしを「そのまま」残すこととの間でバランスをとらなければならないと書いているが、同時に「話し言葉の文字起こしは精密な科学というよりも芸術である」とも結論づけています。 実際、ロリーン・ブレハウトやバリー・ヨークを含む口述歴史家の中には、インタビュー対象者を表現する自由詩のアプローチを実験していると彼女は書いています。同様に、中村満氏のインタビュー #4 の指導計画で説明しているように、インタビューには必然的にインタビューする側とインタビューされる側の相互主観が含まれます。

語りの通訳をして:ヒラキもんを考えれば

「重要なことは、明確に見ること、明確に考えること、つまり危険なことですが、根本的に植民地化とは何ですか?という無邪気な最初の質問に明確に答えることです。」

この「五島の潜伏キリシタン関連世界遺産」オンラインプロジェクトを公開した時には、私はまだ「潜伏キリシタン」という文脈の中で植民地主義について考え始めたばかりのところにいます。 インタビューでは、その植民地主義についてはあまり聞きませんでしたが、この研究が少しでも圧政に立ち向かう活動に貢献できることを願っています。このプロジェクトの文脈では、植民地化は多層的に考慮する必要があると思えます。まず第一に、ヨーロッパとアメリカから19世紀後半に沿岸にやって来た植民地軍の「黒船」に代表される二次植民地主義を撃退するための反動および防衛メカニズムの日本の帝国化および国有化プロジェクトである。五島列島は、魚、油、塩などの物品輸送の搾取、つまり外部植民地主義に苦しんできましたが、同様に、政治エリートの主導権を確保するため、「潜伏キリシタン」の人々が管理され、牢に入れられ、役人に連れて行かれるという内部植民地主義にも悩まされてきました。 潜伏キリシタンは先住民族でもありませんでしたが、1797 年以降に五島列島にやって来た移民と言えます。 彼らは移民だったため、力ずくで土地を手に入れるのではなく、希望しない、未開墾で、耕作が難しい、人里離れた土地(辺鄙)を受け入れることになりました。インタビューで分かるように、潜伏キリシタンは軽蔑的な用語として「開拓者」と呼ばれ、家を持たない、依然として島では場違いな一時的なコミュニティとして扱われていました。

実際、その用語について考えると、「開拓者」は話し言葉の翻訳を考える上で有用な例を提供します。 同じ単語を別の翻訳方法で「耕作者」または「先駆者」とすることもできます。 宗教、階級、人間関係に関する垣根の歴史的な分断の微妙な意味を理解する必要があります。 地元(ジモト)と開拓者(カイタクシャ)という言葉をどのように訳すべきだと思いますか。 (特に浦上幸子のインタビューを参照)。 抜粋の一部では、インタビュー対象者(併せてこのインタビューに参加している柿森和俊氏)は、キリスト教徒の到着前にそこにいた人々が1797年以降に到着したキリシタンに付けられた名前を説明しようと時間を費やしています。こんな議論だったら、英語で、「settler」か「Indigenous」という言葉を使ったら、正しいでしょうか。

オーラルヒストリーを通して、デコロナイゼーションのアップローチ

浦上さんのインタビュー(インタビュー#2)で彼女が兄の言葉を通して自分自身の歴史を知ることができたことで分かるように、このオーラル・ヒストリー・プロジェクトの主題ですら、16 世紀とその後 19 世紀の潜伏キリシタンの女性は女性蔑視の宣教活動によって疎外され、男性の言葉を通して語られることが多く、農民コミュニティでは無産階級の地位にありました。 フランシス、ブードヴィーン、カルセレン・エストラーダ、フランシス、ジェンキンス、サラゴシンは、プロジェクトがデコロナイぜーションであるためには、情報、データの収集方法、コミュニティに何が残されるのか、そしてコミュニティからどのように離れるのかについて透明性がなければならないと書いています。 その一環としてインタビューをコミュニティ自体に戻すこともあり、南部と北部の 2 人の島民、アドバイザーを含む同僚と協力して働くことになり、 さらにその地域に住む研究助手が 1 名いることが不可欠です。 書き起こしと意味の考察を支援するために選ばれた女性たちは、このプロジェクト内であらゆる種類の脱中心化と脱植民地化するフェミニストの実践を達成するために不可欠です。 このプロジェクトに取り組んだチームには、それぞれの島やその周辺の地元ガイドである坂谷さんと大崎さんが含まれており、地元の方言を理解する能力、用語や場所についての知識、そして島のことを考える上で不可欠な存在でした。インタビューから何を判断すべきか、言い換えれば「では、どう言う意味? 」に答えるという点で不可欠でした。

退屈で時間のかかる作業を一部省略して、インタビューの日本語の自動文字起こしをダウンロードできました。自動文字起こしは継続的に改善されているため、以前のプロジェクトの時よりもはるかに正確になりました。チームメンバーの坂谷さんと大崎さんは、自動文字起こしに基づいて最初の文字起こしを作成し、インタビューを聞き、講演者の議論をウエブサイトのために忠実に表現しました。 時々、初期段階で方言を標準語へ翻訳する場合もありました。 私は二人に、潜伏キリシタンの記憶と意味についての私たちのプロジェクトのために完成させた記録の中で何が重要だと思うかを教えてほしいと頼み、私はそれらのテーマに基づいて「Japan Past & Present」 に掲載する抜粋を選択しました。

最後に、もう一度文字通りではなく読みやすさとニュアンスのある文章を目指して、選択した抜粋の英語への翻訳を作成しました。私は文字通りではなく、文脈に応じて創造的に翻訳することを選択します。結果的に間主観的なプロセスを聞いたり読んだりできるように、インタビュアーの質問とコメントを筆記録と音声に残すことにしました。


翻訳:坂谷信子

イメージ・クレジット:Kelly Sikkema