浦上サチ子
「ヒラキもん、ジゲもん」
インタビュー:
令和4年11月16日
場所:
潜伏キリシタン資料館、阿古木、奈留島、下五島、長崎県
長さ:
やく12分
会見者:
グウィン・マクレランド (GM)
取材相手1:
浦上サチ子(うらかみさちこ)
昭和18奈留島生まれ、当時七十九歳
柿森和年同席。
以下は五島列島で録音されたインタビューの筆記録と音声です。オーラルヒストリーは話された記憶で構成されます。これは個人的な意見であるため、最終的に検証された、またはイベントの完全な物語を提示することを意図したものではありません。この筆記録に含まれる資料は、調査研究、教育、その他の非営利または非公共の目的で自由に使用できます。いかなる場合においても、素材の著作権を侵害する行為を行ったり、許可したりしてはなりません。(例:複製、出版、上演、伝達、翻案、商業レンタル契約の締結、または第三者にこれらの行為のいずれかを許可すること)。資料に関するさらなる権利 (出版、複製、放送、または演奏する権利など) の要求は、「Japan Past & Present」に問い合わせが必要です。
浦上サチ子とのインタビュー
インタビュー記録
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【セクション1: カクレアイデンティティ、ジェンダーのサイレンス】
浦上サチ子
あの学校にそのころはまあどっか知らないんですけど、色んなあのえっと家族構成とか、いろんなものを書いて出してたと思うんですよね。でその時にあの宗教書く欄があったんです。そこはもう自分で書いてたんですけど、あのキリシタンとかいて、カクレキリシタンと書いてはいけないよと仏教と書きなさいって、あの言われてました。
毎回言われてました。あの年ごと出すんですけど、毎年それを言われてました。でなにかな、これと何で嘘書くのかなって。その時はね、あの子供だから分からなかったんですよ。そういうそのまあ、何かをしてるってことはうすうすわかってるんですけど、具体的にその女の子には何も教えないので、あの知ってるのはさっき言ったように、あの男の長男がほぼもいろんな話を聞いて、どこから来て、どういう風に来て、あのていうの話聞いてるんですよね。
で、今に至るっていう話聞いてるんですけど、それさえも家に帰ってきてから言うことは禁じられたのかなと思います。あのでうちの兄は私ととても仲がよくて、12歳離れているもので。
でいろんなこと話を聞かせてくれたり、本読んでくれたりしてくれてたんですよ。その時にその話が少しずつ出てくるんですね。自分たちはこうこうしてこんなところに。クリスマスの夜は行っているって?でどういう話するとっていったら、あのこういうどこからどうやってどういう事情できたかっていうことを延々と話をして、その長老たちが話をしてくれるんだと、とその時聞きました。で、あー、そうなんだと、その時少し納得したんですね。じゃあ女の子には話きかせてはいけないんだと、女の子は何でか、私すごくあの好奇心が旺盛なんですよ子供の時から。あのなので、なんで女の子には聞かせてくれないのかなとおしゃべりだからかなと思ったわけです、その時に[笑]
【セクション2:いじめ、カクレお葬式】
浦上サチ子
だから人数としてはそっちの方が少なかったんですけど、その頃にあの学校の先生になれる人は移住してきた人じゃなくて、あのその地元⋆にいたそこのそこの地元にいた人たちが学校の学校に行って先生になってたので、どうしてもその兄たちはいじめにあって、先生からいじめにあったということは聞きました。はい、先言ったように、あの。
⋆ [the jimoto (original inhabitants)]
グウィン・マクレランド
あ、そう。ああ、そうですか、はい。
浦上サチ子
地元の人を答えられないこと、あの答えたら、あの地面の上に座らせられたと兄が言ってましたね。
グウィン・マクレランド
ええ。
浦上サチ子
あのそういうのをちらちらと話した気がするんですよ。ほんでああ、そういうもんだなって。それで私は意識し始めたんですね。そのカクレキリシタンっていうことを。
グウィン・マクレランド
じゃ、それは12歳13歳の頃ですか。
浦上サチ子
そうそう、13そうですね。そのそうです。そう、小学校のちょっと高学年から中学生ぐらいの。
グウィン・マクレランド
はい。子供、その小さい子供の時はあの。えっとそのキリシタンを書かない、書けないと、えっと聞いてから、あのじゃあ、キリシタンだと思っていたんですか?
浦上サチ子
そうですね。その名前すらもあの書くなと言われても、なんでかなと、これって何かな?と思っただけでキリスト教というのを知りませんでしたから。その頃は。
だから、あの独特な儀式をしているということは少しは分かってましたね。あのお葬式にしても、あの洗礼式は見たことがないんですけど、お葬式は見てました。で今考えると、あのちゃんとお葬式の時には葬列っていうんですかね、それにあの私たちはベールを私、カトリックなんですけど、あのベールをかぶりますね。その時、お葬式の葬列の時に白いのを被ってましたね。はい、それ、
グウィン・マクレランド
同じように。
浦上サチ子
そうそうそう。ベール、あの大人になってから気がついたんです。あ、あれはベールの代わりだったんだ。
で、私洋画をよく好きで見るんですけど、話逸れてます?。[笑]
グウィン・マクレランド
ええ?あ, いいでしょ全然
浦上サチ子
その時に、もうずっと若い時から洋画がずっと好きだったんですけど。で、その時にあのお葬式の時に穴の中に天国に行きなさいって言って石を入れるじゃないですか?外国イタリアでもフランスでも。それをやってたんですよ。それを覚えてるんですよ。あのよかとこ行けよと。それが今、あ、その天国に行けということだったと思うんですけど。それがすごくこう頭に残ってるんですよね。ていうことでああ、やっぱりキリスト教なんだと。
グウィン・マクレランド
はい。
【セクション3:聖書とし直した洗礼】
グウィン・マクレランド
ええと、えっ、じゃ、あのカトリックの教会に行きましたということです、そのですか?
浦上サチ子
私はあの私もどうしようかと思ってます。思っていたんですよね。洗礼名がマリアとしてあるので、その幼児の時にカクレキリシタンだけど、洗礼名があるがあるので、これをどうしようかっていうのが、もう私の長年悩んだんですよ。でももう踏ん切りがつかないというか、どうしたらいいのかと結婚した相手がま、無宗教みたいなもんだったんですけど、あの。
そんなに賛成もしてくれないし、でずっと悩んでましたけど、もう早くに亡くなったので。[笑][GM:ううん。] 夫がね!
グウィン・マクレランド
うん、本当ですか?すみません。
浦上サチ子
だからもう亡くなったのであ、反対する人はいないなと思って、あの勉強に行ってで一応あの洗礼名をそのままにして、洗礼はし直しました。神父様が変えたほうがいい、し直したほうがいいよってカトリックでした方がいいよって言われて、で、あの神父様方もあの相談したそうです、上の人と。あのどうしようかっていうと言った時にまあした方がし直した方がいいんじゃないの?とカトリックのでっていうことで洗礼名だけ残してで、あの洗礼をカトリックの洗礼を受けました。
グウィン・マクレランド
同じ同じ, うん。名前まだあの baptism, 洗礼の名前が同じですね。
浦上サチ子
はい同じで、名前だけそのままにして、洗礼式はし直しました。
グウィン・マクレランド
違います、あのカトリック。
浦上サチ子
しなくてもいいという神父様もいらっしゃいます。一回してるんだから2回することはない。
グウィン・マクレランド
はい。
浦上サチ子
ということです。
グウィン・マクレランド
そうですか。それはあのじゃあだいぶあの時間。まあ、だいぶあと、あの。
浦上サチ子
だから洗礼を受けたの年齢じゃないのですか?
グウィン・マクレランド
あのカトリック洗礼受けたあの年はあのどのぐらいでしたね?
浦上サチ子
あのね。もう長年悩んで55歳でした。
グウィン・マクレランド
55、はいそうですね。
浦上サチ子
はい。はい。でもその間に聖書とか読んでました。いつかはと思ってたので、いつかこう捨てられ、名前を捨てられないし、カクレキリシタンの名前を捨てられないし、仏教徒にはなれそうにないし、何か宗教が必要じゃないかと思ったんですよ。その時にやっぱりうけない。やっぱりカトリックの方かなというのが強い。まあずっと強くあったんですけど、ずっとあの。
グウィン・マクレランド
はい。
浦上サチ子
えっと何ですかね?聖書新約から旧約からもう何回も何回も読み直してます。それでやっぱりあのやっぱりあのついいいなと思ってこっちの方だなと思ったので、確信が持てたので、それで洗礼を遅くなりましたけど、もっと早く本当はね20代の頃にしたかったんですけど。
あの仕事も忙しかったし、いろんなことで。
グウィン・マクレランド
ええ、ご家族も。
浦上サチ子
家族もあのあんまりね[苦笑い]
グウィン・マクレランド
そうですか。はい。
浦上サチ子
あんまり賛成しないんで、賛成しないものをしてはいけないと思ったので、あの宗教ですからね、あの心の問題と思ったので、まあ形にとらわれなくてもいいのかなっていうのもあったし、まだまだカクレキリシタンというのが私の中にあったので。
あのどっちしようかなと思ったんですけど、とてもあのあれを見せられた限りでは、あのとてもこれは私には理解できないし、これはやってはいけない、いけないなと思ったんですよ。なので、あのカトリックの方が易しいかなと思って。[笑]
グウィン・マクレランド
はい、そうです。
浦上サチ子
本当理解が易しいあの難しくないかなと思って、まあ信仰にしても、ある程度やっぱり理解して、あの入らないと。あの別にあ、苦しくて助けてって入った入るわけでは私の場合はね無い無いので、やっぱり理解がしたかったので、聖書を何度も何度も読みましたね。それであの洗礼に行きつきました。やっと。
【セクション4:感情と記憶】
浦上サチ子
さあ、特にないですね。ただ、すごいと思うことを話すと、あのあそこの矢上集落の海岸に二家族が来て、そこら辺をうろうろとして、そのそれも聞いた話なんですけど、どこがいいかとうろうろとしてあ、ここじゃないかとここはいいんじゃないかと言って、あの陸に上がって、そして開拓したということ。それそれ、それなんかもうすっごくね、私にはもう詰まるんですよ。あ、胸に詰まるんですよね。あのそれを、はい、もうそれ聞くだけで涙がでそうになる。
[セクション5:海のもの、見張り小屋、ヒラキ]
[質問: キリシタンの差別・いじめがありましたか。]
浦上サチ子
はい、私は無いですけど、その兄がいうそのさっき話した。そういうことぐらいはあったと思うんです。それとその以前の話ですけど、うち何の時代か分かんないんですけど、あの海のものをとってはいけないと、ここの人たちから言われた。
グウィン・マクレランド
ああ、その集落でもそうですか。
浦上サチ子
うん。
あのはい、あの瀬についたもの、石についた物、動かないもの。魚は多分つってよかったと思うんですけど。で、わざわざその見張り小屋とゆって、あの家を、小さい小屋、納屋みたいなこうちっちゃい家を建てて、そこに見張りの人が必ずいたそうです。取らせないと取ってはいけないと。
グウィン・マクレランド
ええええええ。何をとってはいけない?
浦上サチ子
海のもの。
柿森和俊
サザエとかアワビとか。
グウィン・マクレランド
海のものじゃあ魚だったら大丈夫ですか?はい、ああ。
浦上サチ子
魚は泳ぐからそのね。とっていいけども魚だけはいいけど、そのうん?そうそう、貝類はあのそこについてるものをとってはいけないと。
柿森和俊
海藻とかね。
グウィン・マクレランド
ええ?
浦上サチ子
それを採ってはいけなかった。
グウィン・マクレランド
それは話でしたか、それとも?
浦上サチ子
あの私は見てないですけど、私、あの誰の話だったのかな?兄の話ですよ。はい、あの見張り小屋をここでここに建てたんよって。
グウィン・マクレランド
ええ、そうですね。
浦上サチ子
で、あのそれでその取らないかとあのいつも見張ってたってそのあそこの人たちが。
グウィン・マクレランド
はい。
柿森和俊
それとね、あのもうひとつだけど、その我々来た人を、ひらきというんです。ひらきものっていうですね。あの外海から渡って来たきたきたきた人たちをひらき者、拓く。
浦上サチ子
ヒラキ、開拓。開拓民。
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柿森和俊
私たち開拓者。ところが前住んでた人たちは、あの地の人たち、地元たち、地元にいた人。ところで、地元の人は開拓者をいじめたんですよ。
あの開拓者をやっぱりあの自分たちよりもこう、さげ蔑んで、彼らのことはやっぱり差別した。そうそうそうそう。それがその一環として先言ったようにね。海の海のものをこうとった、海のそのついているものを取ってはいけないとかね。そういうの。
グウィン・マクレランド
うん、そうそう。それは差別でしょうね。やはりありました。
浦上サチ子
いじめですね。
【抜粋終わり】
推奨引用元:
浦上サチ子。「ヒラキもん、ジゲもん」会見者、グウィン・マクレランド。 五島の潜伏キリシタン関連世界遺産、Japan Past & Present(2022年11月16日)。