五島列島の歴史を垣間見る

幕末の五島の潜伏キリシタンとして知られる集落の歴史は、本土から外海といわれる地域、またはその周辺の、五島列島に移住した少数の入植者の物語から始まります。文献上、18世紀後半の潜伏キリシタンの五島への移住は、安永5年(1772)3月16日の人別改(青方文書)と呼ばれる文書で初めて正式に言及されています。 この文書は、1798年1月4日に相当する旧暦11月12日に108人の入植者が福江島の六方(むかた)に上陸したことを証明しています。これらのキリシタンは福江島の平蔵、黒蔵、楠原などに移住しました。この小さな集落の移住の後、五島の無人島や隠れた岩場を含む多くの島の無数の入り江や港に3,000人以上が移住したと、地域史家・浦川和三郎が詳しく述べています。 数え切れないほどのキリシタンがやってきたのです。

A circular selection of a historical map of Fukue Island, with several early landing places of Kirishitan's annotated.
図表1:江戸時代の福江島、キリシタンが最初島々に着いた所、 五島列島絵図に書いた、 3K 936、長崎歴史と文化博物館、 2023年
A photograph of a stone statue of Yohane Gotō found on Fukue Island at Mizu-noura Church. The statue is of a man in kimono holding a cross to his chest and a book at his side, staring into the distance.
写真2:ヨハネ五島象、福江島、水の裏天主堂の前、2023年 © マクレランド

中村満さん(中村満さんのインタビュー)は、インタビューの直後、私(グウィン)を島の東海岸まで車で連れて行ってくれました。最初に、ポルトガル人のイエズス会司祭であるルイス・デ・アルメイダ(1525~1583年)が1560年代に五島に上陸した場所として記念碑が建てられている場所に立ち寄りました。1566年、アルメイダはロレンソ修道士と共にこの地に上陸し、五島伝道を開始しました。 キリスト教化の初期の波で、五島列島には多くのキリスト教徒が存在していました(約1551~1639年)。一部の大名や領主がキリスト教徒になり、彼らの支配下で暮らしていた農民たちも、彼らの指導に従っていたため、長崎市自体も短期間のうちにイエズス会に寄進されました。ルイス・フロイスは『日本史』の中で、五島の領主は福江島という、島々の中でも最高の環境で、確かに最も広い場所に住んでいたと書いています。

フロイスは、島には新鮮な魚、魚油、干物、塩漬けの魚が豊富にあったと書いています(要約:田北耕也)。 1597年に秀吉によって長崎で処刑された26人の殉教者の1人は、五島列島で生まれ、その後に続くキリシタンにインスピレーションを与えた19歳の修道士、五島ヨハネ(ジュアン)でした(写真2)。 彼は京都から冬の寒さの中を歩かされた後、他の25人とともに長崎で秀吉の命令によって処刑されました。

しかし、1613年にキリスト教の禁教令が制定されてから、これらの島々のキリシタンの数は、1797年以降に新たな移住者が現れるまで、完全には絶滅しないまでも著しく減少しました。


翻訳:大崎五月