真実を探求する:歴史的記録アンゲーリカ・コッホ(日本語訳:シュミット堀佐知)

真実と虚構とその中間

実録本というものは、客観的な事実を提示する、というスタイルをとってはいるものの、実際には、真実と虚構の中間もしくは事実の誇張であり、実際の事件や人物に関する内容ではあっても、それは週刊誌やスポーツ新聞のゴシップ報道に近いものである。そして、当時の人々は、実録本の写本(当時「書本(かきほん)」と呼ばれていた)が虚偽や憶測を含んでいることにある程度気づいており、「そら言葉を面白く作り連ねたる」ものを「実録体に作りたる」と、純朴な大衆と女性がすぐ「真実の事」だと信じてしまうと言って、実録本を非難する知識人もいた。

例えば、歌舞伎狂言作者・考証家であり書肆の西沢一鳳は、19世紀半ばに書いた文章の中で、実録本は「実説実説」と言っておきながら、中身は単なる「推量の説」や「実説に近からん」と推測していたりするだけのものだ、と述べている。 しかし、なぜ実録本が魅力的なのかと言えば、やはり、真実と虚構そして事実と娯楽的伝聞という二項対立の間にある不思議な均衡関係が、理由の一つとして挙げられるであろう。

事実の検証:源太の物語

源太は文武両道の、理想的な若き剣士として描かれている(バイネキ図書館蔵)。

実録本の特徴でもある、事実と脚色がさまざまに交錯する話の展開は、源太の物語にも当てはまる。地蔵菩薩が全知の語り部になったり、地蔵が凡夫の夢に現れたりという部分は、明らかな作り事である。実在人物である主人公の源太さえ、作者の手にかかると、生きた人間というよりも、美と道徳心と実力を兼ね備えた、理想のシンボルになる。

もっとも重要なのは、源太の心の奥底に秘められた思考の詳細や、彼が恋人と交わした会話や手紙の内容など、当事者以外知りえないような情報も物語に導入されており、作者が事件の概要だけでは足りない要素をちゃんと補填したり脚色を施したりしながら、史実を人々が読むに足る物語に仕立て上げているという点だ。筋立ても、もっともらしく仕上がっており、読む者が、もしかするとこの本は自分だけにこっそり事件の真相を教えてくれているのでは、と思わせるような作品になっているのだ。

真実の序列

しかしながら、そのような空想的な要素にも関わらず、橘南谿が「実録体に作りたる」と評しているように、『衆道通夜物語』は、公的記録のような緻密性と権威の雰囲気を醸し出している。例えば、歴史書・日記・家系図・記録文書によく見られる手法——実在人物の名前を挙げ、出来事の正確な日付と場所を詳らかに記すなど——を援用することによって、話の内容に真実味を持たせている。また、当時の噂話(「世俗の沙汰」)を、本作で紹介されている事件に関する別の解釈を割注(わりちゅう)として書き入れることで、いわば真実性の序列が提示される仕組みになっている。噂話を根拠のない風評として視覚的に区別することにより、語り手の伝える内容がもっとも正確で客観的な事実である、という主張を強化する仕組みなのだ。


記録に残っていること

それにしても、この物語の中心となる「真実」、つまり話の「核」とはなんだったのであろうか。そして、われわれの手元にある写本は、米沢藩とその役人たちが記録した史実とは、どのように異なっているのであろう。物語にぞろぞろ登場する人々が、実在人物だったということは、藩の管理下にある家系図や家臣名簿などから確認できる。 これらの史料によれば、彼らは米沢藩で上杉氏に仕えた、馬廻(うままわり)と呼ばれる中堅武士たちであったことが分かる。また、登場人物たちの背景に関する基本情報(家来の収入・生年月日・没年・後継者など)は、藩の公的記録の内容と高い確率で合致する。

例えば、源太の父の早逝も、物語の悲哀を高めるための演出ではなく、歴とした事実であるし、源太の血統・一家の俸禄・死亡状況(日時・場所・原因)も然り。また、本筋には直接関係のないことであるが、源太の死後まもなく、ある別の藩士が寿命を全うして死んだというのも事実である(しかし、物語の中では、この人物は死の間際に、源太が修羅道転生しないよう、閻魔大王を説得する任務を託されている)。これらの史実が物語に導入されているということは、作者が米沢藩士の個人情報を入手できる人物であったということを物語っている。

元禄3年(1690年)の米沢藩分限帳(市立米沢図書館蔵)。ここに挙げられている源太の父親・竹俣伊兵衛の俸禄は百石であり、イェール本の内容とも一致する。


源太殺害事件を探る

『徳隣厳秘録』(1814年)の斬首場面(国立公文書館蔵)。斬首は通常、武士階級の役人が、囚人の首を刀で斬りおとすという方法で行われる。地面に浅く穴を掘り、流れた血が広がらないように工夫もされている。

この物語が執筆されるきっかけを作った出来事——源太が藩士仲間に殺害された事件——をめぐるさまざまな事実は、登場人物に関する情報と同様、各種の公的文書で立証することができる。米沢藩の重要事項を記した年表『米沢春秋』には、正徳3年(1713年)十月一日に、

「十月朔日南谷地小路山田氏宅東小路にて竹俣源太永井清左衛門私闘」、

と簡潔に記されている。 また、これは物語には含まれていない要素だが、上杉家家臣の系図を集めた文書からも、藩による事件の取り扱いを察することができる。その内容は、事件の約一月後の正徳3年(1713年)十一月四日に、永井清左衛門は

「竹俣源太切殺二付討首仍苗字断絶」、

つまり源太殺害の罪につき、打ち首の上、お家断絶になった、というものである。 役人言葉の簡潔さが特徴的なこれらの記録は、明らかに法令を模している。例えば、「私闘」という法律用語は、武士がお上の承認を得ずに諍いを起こす行為を指しており、治安と秩序を維持する目的のため、幕府と藩の指導者たちによって厳しく禁じられた。

永井も源太殺害の罪で斬首・廃家の刑に処せられたが、これは当時としても厳しい判決である。江戸時代の武士には切腹という名誉刑も選択肢(実際には、割腹直前に介錯人が後ろから首を斬り落とすことが多かったのだが)として存在した。切腹は犯罪者が公衆の面前で斬首される屈辱を回避できる、お上の情状酌量手段であったが、永井には、そのような情けはかけられなかった。 また、お家断絶も、家柄にこだわる武士階級にとっては、究極の屈辱であった。現存する無味乾燥な公文書には、源太殺害の契機については何も書かれていないのだが、推測・噂話・動機そして事件の背景に浮かぶ、登場人物たちの「個人史」とも言えるストーリーが、本作の醍醐味だ。本作が活躍するのは、まさに、幕府や藩の公的記録に残された空白部分なのである。


記録を転換する

『むさしあぶみ』(1661年)は、江戸に大被害をもたらした1657年の明暦の大火について書かれたもので、災害の記述と滑稽味のあるフィクションが融合されている(国会図書館蔵)。

近世の日本では、時事ネタが伝達される過程において、それが事実なのか虚構なのかという点は、あまり重視されなかったので、実録本に書かれた内容を、そのどちらかに分類するのは、それほど意味のない取り組みだと言える。例えば、ピーター・コーニッキによると、17世紀日本で作られた『むさしあぶみ』(1661年)の、実際に起きた災害(大火事など)に関する描写には、逸話やユーモアなどの文学的・物語的特徴が顕著だという。 同じように、18世紀フランスの醜聞事件の裁判の場合でも、その事件に関する証拠を資料にした際、文学的なテーマ・言葉遣い・技法を文面に取り入れたもの方が、信憑性が高いと判断される傾向にあることがサラ・マザの研究で判明している。 つまり、人が特定のテクストを真実か虚構か判断する基準は、時代とともに変遷しているのだ。幕府が虚言の流布を禁じたとは言っても、当時は真実と虚構の線引き自体、曖昧な時代だった。日本の報道規定が、近代の新聞を「客観的な時事の記録」と定義し、根拠のない中傷を事実の報道とは法的に区別し、前者を違法行為と断じたのは、1870年代になってからのことである。 そして、その結果、事実と虚構の区別という発想が根付いたのだ。

従って、時事ネタの信憑性に関しては、現代と江戸時代では開きがあることを考慮しなくてはならない。史実の脚色により作成された物語を分析する際、真実性のみを優先するよりも、事実と創作の微妙な境界線をなぞるストーリーを受け入れつつ、柔軟な視点を維持することが有効であろう。そのような作品は、公的文書などの史料がとらえられないもの——人々が世の出来事に対して抱く思惑や感情——を取り込み、後世に伝えてくれるという点で、とても価値のあるものだ。 実録本が提供するのは、事件を取り巻く客観的事実ではなく、人々の好奇心を刺激するような事柄だ。例えば、密やかに囁かれる噂話や、動機に関する諸説や、感情を揺さぶられるようなドラマ、そして血みどろの詳細など。このように、虚実入り混じった物語は、実際に起きた事件の楽屋裏を見せてくれる、異伝のようなテクストとして読むことができるのだ。


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コッホ・アンゲーリカ(日本語訳:シュミット堀佐知). 「真実を探求する:歴史的記録」『血と涙と武士の愛:18世紀日本の悲劇の物語』、ジャパン・パスト&プレゼント、2024年。https://japanpastandpresent.org/jp/projects/blood-tears-and-samurai-love/introduction/in-search-of-the-truth-historical-records

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