潜伏キリシタンとオーラルヒストリー:「牢屋の窄崩れについて」

授業計画:1868 年の狭い牢獄(牢屋の窄)事件[インタビュー 1:宮本フジエと宮本實夫]
作成者 : グウィン・マクレランド、ニューイングランド大学(五島列島:坂谷伸子、大崎五月協力)
作成日:2024年1月23日
キーワード: トラウマ、拷問、殉教、武士、記憶


インタビュー1:宮本フジエと宮本實男

対象者:

学部生、大学院生

所要時間:

 1 時間(読書時間は含まれません)

学習目標:

  1. 学生は、アレッサンドロ・ポルテッリの古典的なエッセイ「オーラルヒストリーと他の方法論」(1979 年初版)を読み、その中から、以下のいくつかの要素を読み取ります。1 ポルテッリは口述、物語形式、主観、記憶それぞれの「信憑性の価値」や、インタビュアーとインタビュー対象者の関係が弱点ではなく強みを構成していることなどを示唆しています。

  2. 「風景」と記憶について考えてみましょう: このインタビューの抜粋には、記憶と歴史に対する環境の影響の証拠はありますか。

  3. これらのインタビューの研究から、オーラルヒストリーを通じてコミュニティを研究する方法について話し合います。これをさらに進めるために、学生は、資料ページに挙げられているパークス、トムソンのOral History Reader第 2 版の第 21 章「オーラル ヒストリーとコミュニティの研究」と題されたリンダ・ショップのエッセイを読むことができます。

1 Alessandro Portelli, "What Makes Oral History Different," in Oral History, Oral Culture, and Italian Americans, ed. Luisa Del Giudice, Italian and Italian American Studies (New York: Palgrave Macmillan US, 2009), 21–30, https://doi.org/10.1057/9780230101395_2.

このレッスンに含まれる可能性のあるコース:

  • オーラルヒストリー

  • 歴史

  • 日本研究

  • アジア研究

  • 宗教学

必要な教材:

活動/手順:

授業の準備として、まずインタビュー 1 を聞き、語彙リストを参照しながら書き起こし文を読んでおきましょう。インタビューの感想をクラス全体で話し合います。 次に、この指導ガイドの背景情報を読んでください。 小グループで学習目標について話し合います。 このガイドの最後には、さらに議論すべき質問があります。

背景情報:

牢屋の窄(さこ)でいったい何が起こった?

牢屋の窄とは、狭い牢屋があった場所のことです。この小さい牢に、 明治元(1868)年に島の「代官」が、久賀島の男性、女性、子供を含む 200 人以上のキリシタンを押し込め、キリスト教の棄教を迫り拷問を続けました。 久賀島潜伏キリシタン資料館によると、解放されてから亡くなった3人も含めて、拷問、病気、寒晒し飢餓などで42人が亡くなったそうです。 久賀島の浜脇教会の教区民であるカトリック教徒の宮本フジエさんと宮本實夫さん夫婦は、フジエさんの先祖を含む島民が拷問された牢屋の窄事件についてインタビューに答えてくれました。 この宗教迫害が起こったのは明治元年、西暦では1868年で、時代としては、ちょうど政権が江戸幕府から明治政府に変わったのとほぼ同じ時期でした。

プロジェクトリーダーのグウィン・マクレランドが、チームメンバーで久賀島在住の「巡礼ガイド」である坂谷伸子に、この事件について尋ねたところ、彼女は次のように答えました。

久賀島のガイドとして、牢屋の窄をご案内するのがとても大変で、どのように話すと牢屋の窄のことを上手に伝えることができるだろうかと悩みました。 そう、あの牢屋の窄ですが、神父様たちの書かれたものを読むと、本当に人間が行ったことではないというか、人ができることではないように思いました。本当に、それについてはとてもたくさんのひどいことが書かれていて、説明していると胸が痛くなってきます […] でも、それでもありのままに説明しなければなりません。説明するのが、そこが辛くて […] ずっと調べていたら、あのああいうこともあったけども、でも、助けてもらったとか、[…] あのひどい仕打ちを受けているんですが、あのう、まあ、一番最後にそれぞれの付き合いをね。親切な仏教徒のおかげで生きたって書いてあったんですね。[…] うん、それでちょっとだけ心が […]

2018年、ユネスコは久賀島の集落全体を潜伏キリシタン文化遺産に登録しました。 久賀島は現在人口が約250人と少ないものの、現在では五島列島の中でカトリック信者の割合が最も高く、25〜38%ほどが信者だとのことです。2

2 Yōko Gotō, Gotō Rettō: Ritō wo tanoshimu (Tatsumi Shuppan, 2022), while 300 people are registered as living on the island, and Gotō suggests there are in actuality around 200 (as some move among the islands for work or other reasons) In 2021, there were 76 people in the Hamawaki Parish, the remaining Catholic church on the island. While it is difficult to assess the numbers, there would therefore be at maximum 38%, or at minimum perhaps 25% Catholics on this island. Sakatani Nobuko suggests there are actually only around 50 people at the parish now, so it is probable the proportion is reducing to the 25% or even lower.

カトリックにおける殉教について

ジョン・ウィッティア・トリートという学者は、長崎のカトリックの伝統は殉教と受難の記憶から生まれたと述べたことがあります。3 日本とアジアにおける子どもの殉教については、さらに考慮すべきことがあります。 例えば、長崎のカトリック修道士で、被爆体験者でもある小崎登明氏は、子どもの殉教者の名前にちなんで自身の名前が命名されたと述べています。4 もちろん、子どもたち(そして他の多くの人)は殉教者になることを望んでいません。 久賀島殉教者の中には、9歳、6歳、5歳、3歳、そして1歳の子どもも含まれていました。それは、このプロジェクトでグウィン・マクレランドが2008年から2016年にかけて、原爆投下についてカトリック教徒の生存者にインタビューした時のことを思い出させます。米軍が長崎に原爆を投下したとき、犠牲者の大多数が女性と子供たちでした。5 本プロジェクトの 中村満氏のインタビューもご覧ください。 中村さんは、曾祖母が幼い3人の娘を牢屋の窄で亡くしたあとの悲しみを、どのように話したかを語りました。

宮本フジエさんは、インタビュー抜粋の終わりに、牢屋の窄事件で亡くなられた自分の先祖の名前が「まさごろう」だったと言っています。 2022年、グウィン・マクレランドは、島に長年住んでいる坂谷伸子と一緒に、「まさごろう」氏の遺骨が納められている殉教の地、牢屋の窄を訪れました。浦上カトリックの 歴史家の片岡弥吉氏は、教会跡や人々が亡くなった場所などの殉教の地には、その場所(殉教地)が持っている強い力があると書いています。 片岡氏は民衆の苦しみの目撃者は、代官がキリシタンに拷問を行った、久賀の土地、木々、丘、岩、そして久賀の湾であると示唆しています。

3 John Treat, Writing Ground Zero: Japanese Literature and the Atomic Bomb. Also see Yuki Miyamoto, Beyond the Mushroom Cloud: Commemoration, Religion, and Responsibility after Hiroshima (New York: Fordham University Press, 2012), 139.
4 Gwyn McClelland, "Love Saves from Isolation": Ozaki Tomei and His Journey from Nagasaki to Auschwitz and Back. in Chad Diehl (Ed.) Shadows of Nagasaki: Trauma, Religion and Memory after the Atomic Bombing, 2023, Fordham University Press, 112-130.
5 Gwyn McClelland, Dangerous Memory in Nagasaki : Prayers, Protests and Catholic Survivor Narratives (Routledge, 2019), https://doi.org/10.4324/9780429266003.

後書き

グウィン・マクレランドは 2023 年に島を離れる準備をしていたとき、彼の研究内容に興味を示した知人に車でフェリーまで連れて行ってもらいました。すると運転手は、母方の家族も牢屋の窄で起きた事件に関わっていたことを明かしました。 彼の場合、先祖は武家で、その中には切支丹を逮捕して牢屋に入れていた役人もいました。 運転手は、「カトリック教徒は嘘をつく傾向がある、あのスペースに200人以上が入るわけがない」と語りました。 もう一つの問題は、まさに代官が実際に住んでいた場所のことでした。 カトリック教徒は、今日コミュニティハウスが建てられている藤原邸だと言っているが、必ずしもそこにあったわけではないと言う人もます。

島内のさまざまなグループ間には依然として理解の隔たりがあり、潜伏キリシタンの歴史を疑われる傾向もあるそうです。

ディスカッション質問:

  • このインタビューの中の沈黙は何を表しているのでしょうか。

  • 笑い声にも何か意味があるのではないでしょうか。 笑い声は何を意味するのでしょうか。 違う意味を示す例はありますか。誰かが笑ったときの文脈を調べてください。

  • フジエさんと實夫さんのインタビュー抜粋から、久賀島の人々は牢屋の窄の出来事をどのように記念し、歴史化していることが読み取れるでしょうか。

  • 集落の中でそれまで知られていたことを追加するために調査を行ったのはいつですか。

  • この歴史的記録について、今日私たちが正確に理解できることは何でしょうか。最も現実に近いことは何でしょうか。そして、それ以上に大切なのは、それが今現在何を意味しているのかということです。牢屋の中には正確に何人の人がいたのでしょうか。 この事件について他に何を調べたらいいでしょうか。

評価:

学生は、オーラル・ヒストリーの方法論の有用性と、コミュニティに関するインタビューから、それらをどうやって一般化するかについて短い文章を書くことができます。

参考文献: 

Diehl, Chad (Ed) (2023), Shadows of Nagasaki: Trauma, Religion and Memory after the Atomic Bombing, Fordham University Press

後藤暢子(2022) 『五島列島(シリーズ 離島をたのしむ)』辰巳出版

McClelland, Gwyn, (2020) Dangerous Memory in Nagasaki : Prayers, Protests and Catholic Survivor Narratives, Routledge.

Miyamoto, Yuki, (2012) Beyond the Mushroom Cloud: Commemoration, Religion, and Responsibility after Hiroshima New York: Fordham University Press.

Perks, Robert; Thomson, Alistair Scott. (Eds) (2006). The Oral History Reader (2nd ed.). London UK: Routledge. 

Portelli, Alessandro. (2009). What Makes Oral History Different. In: Giudice, L.D. (eds) Oral History, Oral Culture, and Italian Americans. Italian and Italian American Studies. Palgrave Macmillan, New York. https://doi.org/10.1057/9780230101395_2

Treat, John, (1995). Writing Ground Zero: Japanese Literature and the Atomic Bomb. Chicago: University of Chicago Press.

浦川和三郎(1973)『浦上切支丹史』国書刊行会


参照写真:

Panoramic photo of the Hamawaki Church and surrounds, a green roofed white colored church against green forest background with a body of water to the left.写真1: 浜脇教会とその周辺、久賀島、2022年。© マクレランド

Photograph of two rows of stone plaques at a memorial site. The names are colored in gold.写真2: 追悼の地にて、2022年。 © マクレランド

Photograph of a memorial site with two rows of stone plaques in front and a taller statue in the back. The thicker base is a colorful mosaic and the top is a rectangular stone with gold writing topped with a stone cross.写真3: 牢屋の窄、2022 年 11 月。© マクレランド

A memorial exhibition of Roya no Sako at the Catholic Museum on Hisaka Island. A thick wooden table is topped with papers and books along with a tall board featuring several dozen small circular plaques and a cross.写真4: 久賀島のカトリック資料館にある牢屋の窄の記念碑、2022 年。© マクレランド

クレジット/謝辞:

インタビューに応じてくださった宮本實夫氏とフジエ氏、そして私が久賀を訪問した際の非常に寛大なおもてなしに感謝いたします。 また、本プロジェクトにご協力いただきました佐々木亮さん(福岡県)、西村明さん(東京大学)に感謝いたします。