柿森和年
「隠れ、大事なところ、いんなしょ様、死に方」
インタビュー:
令和4年11月15日
場所:
潜伏キリシタン資料館、阿古木、奈留島、下五島、長崎県
長さ:
約15:30分
会見者:
グウィン・マクレランド (GM)
取材相手1:
柿森和年(かきもりかずとし)
昭和21年奈留島、阿古木生まれ、同時76歳
以下は五島列島で録音されたインタビューの筆記録と音声です。オーラルヒストリーは話された個人の記憶をもとに構成されます。これは個人的な意見であるため、最終的に検証されたものではなく、また出来事について完全な形で提示することを意図したものではありません。この筆記録に含まれる資料は、調査研究、教育、その他の非営利または非公共の目的の範囲で自由に使用できます。いかなる場合においても、素材の著作権を侵害する行為を行ったり、許可したりすることはできません(例:複製、出版、上演、伝達、翻案、商業レンタル契約の締結、または第三者にこれらの行為のいずれかを許可すること)。資料に関するさらなる権利(出版、複製、放送、または演奏する権利など) については、ジャパン・パスト&プレゼントに問い合わせが必要です。
柿森和年とのインタビュー
インタビュー記録
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【セクション1: フランス宣教師との繋がり】
グウィン・マクレランド
また、スピリチュアリティもあの関連があると思うが、あの環境の、こういうあの奈留島の、あの、形も、ええまた、海、丘、山とかもうあの多分ご先祖のためにあの大事だったと思うが、ええとそれについて何かあの意見がされます?
柿森和年
うん。うんそうね。やっぱりあの今、見るとそういうこう。昔、潜伏キリシタンたちがこう切り開いた集落というのはですね、もともとそこはあのまあ、奈留島でも彼らが1800年代にこう外海から五島に渡ってくるんですけど、ええ、で彼らが来た時には、もうすでに良い場所はすでに、もう前の人達が使ってたんですね。先人、前に住んでた人たちが。で、来て、来た来た、あの来た人たちは、もうまだ住まないところを開拓、開墾しなければいけない。
グウィン・マクレランド
うん。ええ、[…]
柿森和年
だから非常に自然的に厳しい所ですね。やっぱりこう急峻な山があって見て行く、見てわかるように、そこの山も、山もちょっと切り開いて石垣を積んで、まあ狭い畑をちょっと段々畑を作って、主に芋とかを植えて、ええ、あの生活したと思うんですけど。
で、今で見ると、それがかえって逆にですね、その場所は自然環境が結構あの素晴らしいとこなんですね。ですから、あのまあ潜伏キリシタンが住んだ集落というのは、自然が今でも生きていると。。。
グウィン・マクレランド
うん。
柿森和年
だから自然と合わせて、その自然が生きて、そこにそういうこう彼らが暮らした集落があって、そしてまあ、あのええ、そこにいろんなキリシタンの遺跡があって、それで、そしてまあ、そういうことをこうあの体感するっていうかね。自分の肌で感じてしまう、感じるとさらなるこう、スピリチュアル的なものもね。やっぱり出てくるんじゃないかなと言う風に思います。だから、自然っていうのが大事だと思う。キーワード自然。そして、そこにある、し、信仰のこう、信仰、で生活した場所でしょ。
グウィン・マクレランド
はい。
柿森和年
でそういうところ、こう相対的にこう留めている場所はやっぱり僕としてはあの今、世界遺産に、がたくさんあるんでしょうけど、やっぱりこういう場所もね、いずれかやっぱり世界遺産に構成資産を広げる必要が僕はあると思ってます。
グウィン・マクレランド
ええ、
柿森和年
いずれかあれば、あの少し広げることも可能なんでしょうから、世界遺産委員会にね。だから、それはあのいずれか、そういう時期がくればいいなという。そういう希望があります。
グウィン・マクレランド
今まで12、12?
柿森和年
12か、13でしょう? だからそれに潜伏関連遺産っていうのは、五島あたりにたくさんこんだけ歴史があるのに、潜伏関連遺産っていう一つの中で、そのカクレキリシタンが住んだ集落がちょっと一つも入ってないじゃないですか。
グウィン・マクレランド
ううん、はい。
柿森和年
ねなんかその付近で、もう少しこう、こういう今日見た場所なんか見るとあのすごいそういう時代のその記憶がたくさん残っている、地区なもんでそういうやつも含めてね。
グウィン・マクレランド
うん、うん、そう。
柿森和年
やっぱりなんかやっぱり見直すべきかなと。僕自身、そう思っています。
グウィン・マクレランド
分かりました。
【セクション2:神様と聖人を祀る】
グウィン・マクレランド
例えばあの岩とか木とか土えっと、であの大事な場所あの歴史的に大事な場所、ええと何か思い浮かべますか。そう、そういうこう、あの昔、えっとええイベントによって何かがあったとところ。
柿森和年
ああ、そのなんか潜伏キリシタンのなんかあった場所ね。沢山あるんですね
グウィン・マクレランド
沢山ありますか。
柿森和年
ええ、あの、今日はあのお配りした、その何ていうか、パンフレットの中にも書いてますけど、ええまあ、オラショを伝授したオラショ洞窟だとかね。それとか古い木を見た古いあの潜伏時代のお墓だとか。
グウィン・マクレランド
はい、そうですよね。
柿森和年
洗礼の水を汲みとっていたあの洗礼が、の水が出る不思議な海岸がある場所だとか、そういうとか「地の神様」と言って、ええまあ、あのおそらく、ええ、カトリックの聖人の人を祀っていた場所もあるんですね。それでもう、今日見た、もう一つ、あの僕、あの「三位一体の島」って言ってましたけど、「矢上小島」ってあるんですけど、そこもね、実際、そこには、あの表向きはえっと、なんか、ええ、えびすさん、えびすさんってこう海の神様みたいなの。えびすさんっていうあの。
グウィン・マクレランド
えびすさんっていうのはあの、くじらじゃない、
柿森和年
これはヒンズー教か。えびす、えびす、あの大黒さんっているじゃないですか、日本にね。まあその、えびすさんを祀っているということなんだけど、あの、表向きはね。でも、あそこはあんまり偉い人だったもんで、矢神小島にそのえびすさんをあの偉い人をあそこに移し替えたと、いうんだけど。えびすさんを今、表向きやってるんだけど、本来は誰か。あのええ、カトリックの聖人の人を誰か祀ったかもしれんというのがあるんですね。
【セクション3: インナッショ様と二十三夜待ち】
グウィン・マクレランド
はい。
柿森和年
で特にあの今日も来た、矢上小島ではですね、あの、一つのあれとして、日本の伝統的なものに「二十三夜待ち」っていうですね。あのものがあるんですね。これどういうかというと。
グウィン・マクレランド
にじゅうさん、
柿森和年
さんや待ち。
グウィン・マクレランド
え、えまち
柿森和年
さんや待ち
グウィン・マクレランド
さんやまち。
柿森和年
待つ。待つこと。
グウィン・マクレランド
すみません。
柿森和年
二十三夜、待つこと二十三夜。これはね、旧暦の1月の23日と5月の23日と、10月の23日、あ、9月やったかな、のですね、その時はあの旧暦、お月様が出るのが一番遅いらしいんですよ。
グウィン・マクレランド
ああ、そこ行ったら、
柿森和年
月が出るの遅い。月は夜中に、夜中ごろ月が出てくる。
グウィン・マクレランド
ああ、遅い。一番遅い。
柿森和年
遅い。出てくるのが。その時はね、あのお月さん、お月さんが出る前までに集落の人みんな集まって、待つわけですよ。雑談しながら、あの一つのあのまあ、そういうこう食べ物を食べながら、そして20、お月さん出たら、あのまあ日本伝統、し(?)聖観音という観音様にこうお願い事してたと、それ、日本の伝統的なやつやったんですよ。で、キリシタンたちもそれを真似じゃないけど、それをね、あのやっぱりカモフラージュするためにそれを、ね、それの、あれは月見の、月見、出てくるお月さんをね。そのイグナチオ・ロヨラ、「インナッショ様」って
グウィン・マクレランド
あ、イグナショ様。
柿森和年
イナッショ様。インナッショ様に祈ってた、「インナッショ様」って言ってたんです。
グウィン・マクレランド
なるほど
柿森和年
月の神様を、その時にインナッショ様に、にあのとりなしを願って、自分たちの願い事をね、神様に彼から。
グウィン・マクレランド
はい。
柿森和年
願い事成就するだろうと、そういうことをやってきたんですね。二十三夜待ちで、あそこのキリシタン洞窟、あの今日みたいにあの、潜伏キリシタン洞窟の中で僕も書いたと思うんですけど、まあ、そういうことで、あの身近にこう感じてたもんで、ひょっとすればあそこ、インナッショ様を祀ってる、あのあそこの、矢上小島でないのかなと思うけど、これまだわかりません。
しかし、何か聖人の人にね、というインナッショ様がなんかバスチャンじゃなくて、誰か、
[brief edit]
柿森和年
ええ、洗礼者ヨハネ
グウィン・マクレランド
ああ、ヨハネ。洗礼者
柿森和年
そうそうそう。 あれはあのこっちのキリシタンでなんてどういう意味だったかな。ええ、まあ、そういう人を祀ってる可能性があるんですね。で必ずあのカクレキリシタンの裏と表があって、表向きはこういう仏教的ということなんだけど。
グウィン・マクレランド
そうそう
柿森和年
しかし、その裏には裏の方が違うんだね、やっぱり。全然それはあの混合宗教じゃなくて、本来真面目に本当にそのキリスト教のやつをまあ本心にやって、あくまでもそれは仏教的な要素っていうか、神道的な要素はあくまでカモフラージュなんですね。で一般、一般の人はそれを見るとこれはあの同じあのあのカクレキリシタンはあの一方では神社とかお寺を尊敬して、あるいはこうキリスト教(?)もして、なんかこう宗教が混ざってるという誤解するんだけどで違うよね。
グウィン・マクレランド
違いますね。
柿森和年
それは決して違うのね。それは、これ、ここにきてはっきり分かった。うん、あ、そういうことですね。
[抜けた部分]
【セクション5:カクレキリシタンの事について、水方をしていた母方の祖父の事】
グウィン・マクレランド
柿森さん、あるいはご家族ご親戚、えっと、あの、のカクレキリシタンの経験についてええと、まあ、わかったことがたくさんあると思うが、あのまあ大事のが、何が一番、あの、思い出に残る、と、思いますか。
柿森和年
ああ、っていうのは僕は最初に来てですね、あの、私の家系を色々、調査したんですね。家系はどういう形で、
グウィン・マクレランド
そうですよねえ
柿森和年
全部のってるんですけど、まあ父方、
グウィン・マクレランド
あ、ほとんどたいてい、ここに書いてあります。。。
柿森和年
うん、書いてますね。
グウィン・マクレランド
それを、ちゃんと読みます。これから
柿森和年
それでええ、まあ、あの私の祖父、まあ、母方の祖父は今、この地でやっぱりあの隠れの、水方という洗礼を受ける役ですね。カクレキリシタンの
グウィン・マクレランド
お母さんはあの水方?
柿森和年
の、母の父
グウィン・マクレランド
母、あごめんなさい、母の、あの、祖父、わかりました。
柿森和年
私のおじいさん。カクレキリシタンの水方と言って、そしてカクレキリシタンは、あ、あの組織が必ず3人体制でやるんですね。帳方という人と、帳方は暦を作る人、毎年暦を作りますから昔の、あの太陽暦を太陰暦に直すんです。
グウィン・マクレランド
たい、、
柿森和年
太陽暦を太陰暦に。
グウィン・マクレランド
太陰暦、はい。
柿森和年
月の昔、知らないかな、旧暦ってあって、あのやっぱ月の、月に合わせた暦が日本独自の暦があるんですよ。日本は、昔はね、江戸時代とか。で、ヨーロッパのやつは明治、明治に入って
グウィン・マクレランド
そうそうそう
柿森和年
ヨーロッパ的に、あの最終的に始まるんです。
グウィン・マクレランド
そうそう、そう、ねえ。
柿森和年
ですから、あの最初はもうキリシタンたちも太陽暦のやつを、太陰暦に置き換えるんですよ。
グウィン・マクレランド
ええ、
柿森和年
うん、あの置き換える、少しあのそういう作業、それが帳方の役割、で、全体、全体の一番責任者、帳方がね。で、水方は洗礼を授ける役割で宿老さんという人がいて、彼は水方と帳方のまあ補佐をする人。
グウィン・マクレランド
うん。はい
柿森和年
ええ、それとか、行事をするときの準備をする人、まあ、そういう三人体制でいくんですね。必ず3人で揃わなければ行事ができなかったんですよね。いろんな行事を洗礼もそうだし、お葬式もそうだし。え、あとは「お大夜(おたいや)」と言うクリスマスもそう。クリスマスのお祝いとかね。それとか「悲しみの上がり」と言って復活祭復活祭ね。
グウィン・マクレランド
はい。
柿森和年
うん、ええ。そういうことを暦に沿った形で、ずっとこれが中心だったんです。暦を中心に、だから祝日という聖人の祝日はまあ、キリシタンたちは「悪い日」と言って、その時は針仕事もこう、労働もしなかったんですね。
グウィン・マクレランド
うん。
柿森和年
祝日は、お祝い、祝い日だから、ヨーロッパそうでしょう。
グウィン・マクレランド
そうそう
柿森和年
祝日である時には休日でしょう。イースターなんかも祝日じゃないですか。まあそういうことをやってきたんですね。それでもう一つは「ぜぜん」といってこう。まあ、特にあの四旬節と言ってこう悲しみの、要するに、あのこう復活祭までの数ヶ月、あの四十何日間かな。そこのまあ、そこの時期はもう、あの何て言うか「ぜぜん」と言って、あのまあ食事を一回抜くとか、そういう、[不明] あの、それとかあの、肉類は食べないとか、結構やっぱりあの今のカトリックよりも、非常にこう、シビアに守ったんですね。
グウィン・マクレランド
はい。そうでしょうねえ。
柿森和年
そういうこともやってきたね。今はもうそういうこと無いんですけど、カトリックがね緩い、、
グウィン・マクレランド
前に
柿森和年
まあ、そういうこう、まあ、そういうこう犠牲を払って、はら、払う、まあ。ええ、月もあったんですね。そういう形でこうずっと。ええ、まあ、そういうこと、が一つで、もう一個はあのね、「こんちりさん」と言って、普通、カトリックの場合はこう、まあ神父がいた場合には告白て、告解っていうのがあるんですね。あの罪を償う、神父さんとかに。
グウィン・マクレランド
はい, はい。
柿森和年
それが神父が誰もいないもんで、できないでしょ?「こんちりさん」というこう罪を償うこう、おらしょを唱えてたんですね。でそれもあの、やっぱりきちっとやっぱりおらしょを唱えてたと。
グウィン・マクレランド
それはあの違う人がこんちりさんでしたか。
柿森和年
いや、「こんちりさん」っていうそのおらしょを唱えて、自分の罪をそこで、私、こういう償いを、あの、そういう罪をまあ、あの。忌み嫌う、というような感じのことを(唱えてた?)僕は一番あのすごいなと思ったのは、死にこう臨める人に付いてね、「最期のおらしょ」っていうのを唱えるんですよ。
死に向かう人に。死、
グウィン・マクレランド
死にむかう。。。
柿森和年
死に向かう、亡くなるという人。まあ一番大事な時にですね。死。死に向かう人に対しての、こう良い、良いね、死に方、良い、こう、神様に、死に方するために、ええ、その、おらしょの中身っていうのはね。いわゆる、自分が犯した罪をやっぱりあの悔やむと。
グウィン・マクレランド
うん。
柿森和年
で、そしてそれを一緒に祈ってあげるんですね。一緒に、自分が若い時、こういう罪を犯して、もう、悪いことしましたと。そしてまあ。
グウィン・マクレランド
そういう習慣
柿森和年
必ずそれするんですよ。帳方、三役が集まってね。死に、死の間際に最期のおらしょって唱えさせるんですよ。ただそれはやっぱり、こう、死ぬ前にこう自分が悪いことをあまり現世でどういうね、あんまりいい生活しなかったと。それはやっぱり、神様にやっぱり。許しをこう、入れてパライソに行けるように、良い、良い、その、そういうね。あの死を迎えるための、そういうサポートもするんですよ。それはすごいなという。
⋆ [For more information on Kakimori’s family, see Gonoi Takashi 五野井隆史, Hidden Kirishitan of Japan Illustrated 潜伏キリシタン図譜. Sempuku Kirishitan Zufu Jikko Iinkai 潜伏キリシタン図譜プロジェクト実行委員会, 2021. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I032606568]]
【抜粋終わり】
推奨引用元:
柿森和年。カクレ、大事な所、いんなしょ様、死に方」会見者、グウィン・マクレランド。五島の潜伏キリシタン関連世界遺産、Japan Past & Present(2022年11月15日)。